ピンデトッ


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雑学の宝庫 

更新日:
 2012年6月30日


◎ピンデトッ、ピンデトック、ピンデトク(빈대떡)
 緑豆で作った韓国式のお好み焼き。

 「ピンデトッ(빈대떡)」は、緑豆で作ったジョン(전(チヂミ(지짐이))です。水でふやかした緑豆をミキサーや石臼ですりつぶしたものにネギ、肉、牡蠣などの具を入れて鉄板で焼いた韓国風のお好み焼きです。肉は主に豚肉か牛肉を使いますが、その他の材料は、お店によって様々です。醤油につけて食べるのが一般的です。
 通常、ジョンには小麦粉や白玉粉を使うのですが、これらの代わりに緑豆を使ったジョンが「ピンデトッ」です。韓国では緑豆を「ノクトゥ(녹두)」と言いますので、「ピンデトッ」のことを「緑豆ピンデトッ(녹두빈대떡)」、「ノクトゥジョン(녹두전)」と呼ぶこともあるようです。
 「ピンデトッ」は、1670年頃に書かれた「飲食知味方」という書物に「ピンジャトッ(貧者餅:빈자떡)」という名前で記載されているそうです。これが「ピンデトッ」が、文献に載った最初の事例だとされているようです。そこでは、ピンジャトッの調理法として「アズキを蜂蜜と練り、具として入れる」と書かれているそうです。また、1809年に書かれた「閨閤叢書」という書物にも「栗に蜂蜜をまぶした具を入れる」と書かれているそうです。
 これらが、現在の「ピンデトッ」のルーツだとすると、朝鮮時代までは、現在と異なって、甘い菓子の一種であったということになります。その後、時代が進み、庶民が食べる料理になってくるにつれて、名称も「ピンジャトッ(貧者餅)」から「ピンデトッ」に変化し、味付けや調理法も菓子のような甘い料理から、普通の食事のように変化していったということになります。
 個人的には、この説は非常に疑わしいものだと思います。名前も味付け(調理法)も異なるということは、もともと、全く別の料理だったのではないかと思います。たまたま、現在、「ピンジャトッ(貧者餅)」という料理が残っていないため、名前が似ている「ピンデトッ」を「ピンジャトッ(貧者餅)」と混同し、同じものだとする勘違いが流布してしまったのではないかと思います。
 実際、現在でも「ピンデ(빈대)」の語源は、はっきりしていないそうです。ただし、「トッ(떡)」は、「餅」で確定のようです。このため「ピンデ(빈대)」の語源については、諸説があるようです。ネットで調べたところ、まず、「形状の似ている南京虫(韓国語でピンデ)が語源」だとする説がありましたが、これは、いくらなんでも無茶すぎると思います。だいたい、ピンデトッと南京虫の形が似ているとは思いませんし、食べ物に、気持ち悪い虫の名前を付けるなんてことは、ありえないと思います。こんな「虫」を食べたいと思う人はいないはずですし、そんな名前をつけるはずがありません。
 また、この南京虫の説では、「ピンデトッのお店が多い地域に南京虫がが多かったため、ピンデトッと呼ばれるようになった」という説もあるようです。これは、やはり形が似ているという説明は、あまりにも無理があるので、作った説だと思います。ハエが多いから、ハエ御飯と名付けた、という話は聞いたことがありません。韓国の人が、そんな気持ち悪い感覚を持っているとは思えません。
 他には、「ピンデトッ」が現在でも、祭祀を行う際には不可欠の食品であることから、祭祀に関連した食べ物であるとする説があります。昔は、緑豆で作ったピンデトッは、祭祀を行う時、油で焼いた肉を高く積み上げるための台(下敷き)として使われていたというのです。そして、こうした祭祀を行うのは富裕層に限定されており、かつ、このような富裕層が、これらの下敷きとして使用した台を食べることはないため、祭祀の後、市中の貧しい人々に、この台を分け与えたというのです。ここから、「ピンジャトッ(貧者の餅)」という名前がつき、これがピンデトッに変わっていったという説です。
 さらに、この説に関連して、ピンデトッはもともと、祭祀の際、膳にのせる肉の串焼きを高く盛り付けるための台として使用され、肉料理から出る脂を吸収する役割もしており、元来は、食べ物ではなかったものの、祭祀が終わった後、その緑豆で作った台を貧しい人達に分け与えたことから「ピンジャトッ(貧者の餅)」となったとか、さらにこの施しが慣習化し、凶作の時にも金持ちが同様の料理を作って、貧しい人々に与えたことから「ピンジャトッ」となったという説があります。
 私には、これらの説も信じられません。既に述べましたが、「ピンジャトッ(貧者餅)」から「ピンデトッ」に名前が変わった理由が、全く理解できません。また、上述した「飲食知味方」という書物ですが、これは慶尚北道の英陽郡に住んでいた両班(ヤンバン:양반)家庭の夫人によって書かれた本です。すなわち韓国の両班(貴族、お金持ち)が、日常、家庭で作っていた料理のうちの146種類が紹介されている書物なのです。この中に記述がある「ピンジャトッ」が、もともと食べ物ではない、という説明は、辻褄が合いません。仮に、貴族(お金持ち)がわざわざ作った、貧乏な方のための施し用の食べ物だとしても、それを、わざわざ書物に残す理由がありません。このような説明は、明らかに間違っていると思います。むしろ、甘くて、お菓子のような料理であった「ピンジャトッ」は、当時の食べ物の中でも、とても美味しかったのではないでしょうか。普通は、貴族(お金持ち)は優雅に、余裕をもって食事をするのに、ピンジャトッはあまりに美味しいので、貧乏な人達のようにガツガツと食べてしまうため、そのような名前が付けられたのではないでしょうか。少なくとも、「ピンジャトッ」が、祭祀の際の肉を置くための台だったとは思えません。昔は、甘いものは貴重だったはずです。蜂蜜を使った食べ物を食べないということはありえないし、脂を吸わせるための台にするなど、ありえないと思います。
 さらにピンデトッの名前の由来には、「賓客(빈객)をもてなす(接待(접대)する)ような美味しい料理」ということで「賓待(빈대)」という字が当てられたという説もあるそうです。要するに、「大事な御客様をもてなすための餅」ということですね。しかし、残念ながら、この説も後から作った、こじつけに過ぎないと思います。
 だいたい、韓国に「賓待」と言う言葉はありません。韓国の人に聞いてみましたが、「このような言葉はない」と言っていました。「ピンデ(빈대)」という言葉(音)に、当てはまる言葉(漢字語)を強引に作り出した言葉遊びに過ぎないと思います。
 もともとの「ピンジャトッ」ならまだしも、現在のピンデトッが大事な御客様をもてなすのにふさわしい料理とは思えません。残念ながら、大切な御客様をもてなすような美味しさのピンデトッは、食べたことがありません。むしろピンデトッは、気の置けない仲間とマッコリを飲みながら、ワイワイ言いながら食べるのが良いと思います。
 私からすると、ピンデトッの名前の由来もそうですが、ピンデトッが、どのような経緯で生まれたのか非常に気になります。また、本当の「ピンジャトッ(貧者餅)」も食べてみたいと思いますが、現在ではなくなってしまったのでしょうか。(既に、なくなってしまったから、ピンデトッと混同されているのだと思いますが。)
 現在、ピンデトッは韓国中で食べられている、ありふれた料理です。ソウル市内では、鍾路(종로:チョンノ)の裏通りが有名だそうです。そこでは、「ピマッコル(비맛골)」と呼ばれる細い路地に入ると、今でも、石臼で緑豆を粉にしているピンデトッの専門店が営業を続けているそうです。
 韓国の友人の話では、ピンデトッは「オリクルジョ(어리굴젓:牡蠣の塩辛)」を上に乗せて、一緒に食べ、さらにマッコリを飲むのが最高の組み合わせだと言っていました。ここで、「어리(オリ)」とは「幼い」、「굴(クル)」は「牡蠣」、「젓(ジョッ)」は「塩辛」の意味で、「オリクルジョ」は、「小さい牡蠣で作った塩辛」です。言われた通り、食べてみると、確かに美味しいことは美味しいですが、感動するほどではありません。やはりピンデトッは、仲間で集まって、ワイワイ言いながら、マッコリを飲みながら食べるのが最高なようです。



   これがピンデトッです。



   これがオリクルジョです。



   こんな風にオリクルジョをのせて食べるのが最高だそうです。



   ピンデトッとオリクルジョ、さらに奥のヤカンと右側のコップがマッコリです。





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